賞賛と差別は紙一重

ここ5年くらいの旅行先で「日本人」というだけで賞賛された印象深かったエピソードを一つ振り返りたいと思います。

イースター島

南半球の絶海の孤島の島。2013年のある時、この島で半月いかないくらいの間ぶらぶらしていました。この島にはモアイがそこら中、ボツボツ立ってます。モアイは初めて見ると「お、すげー!」って思いましたが、一週間も毎日スーパーの買い物の行き来で見せつけられると「もう、あー、いい」って気持ちになります。

ただ、この島は奥深いです。僕の中で、次回行ける機会があれば、一ヶ月以上滞在したい場所の一つにランキングしてます。

この島には色々な複雑な歴史があり、何百年もの間、多くのモアイ像が破壊された悲惨な状態が続いていました。そんな中、20世紀のある時、とある日本の民間企業がこの島に乗り込んでモアイ像の修復を行い、島の象徴、いや、崇拝されているモアイ像が蘇り、そして、イースター島自体が蘇りました。

「チリ政府も、ユニセフも、なんにもしてくれなかったのに、日本人だけが我々を助けてくれた。」

僕は日本人かもしれませんが、僕自身が何かしたわけでもなんでもないんです。モアイ像を修復した某日本の民間企業のみが賞賛されるべきなのを通り越して「日本人」というレベルで識別されます。

この島では「日本人」というだけで、モアイ像の次くらいに崇拝されます。絶対にしませんけれども、ゴミのポイ捨てとか、日本人の看板背負うだけで出来ません。

ただ、僕がここで伝えたいのは「日本人」がどれだけ賞賛されるかではありません。要は逆で一部の民族が賞賛されるということは、他の一部の民族は差別を受けている、という実情が浮き彫りになってきます。それがどこの国のどの民族なのかは、僕はここで言うことはできません。

で、これを突き詰めてゆくと、賞賛とは逆に反日教育をしている国々も世界にはいくつかあります。この場合、日本人があからさまに差別対象になってます。

自分は何もしていないのに、事実ではないことを伝えられ、受け入れてもらえない、ということになるわけです。たまったもんじゃありません。

賞賛も差別も、紙一重。かなり事実は違うところで行われている、という世界の実情があります。